プレマ株式会社
お問い合わせ サイトマップ

社会貢献活動-ラオス支援活動
トップ > 社会貢献活動 ラオス支援活動 - 2008年宮崎美里のラオス視察記(2)

<< 前のページへ
1
2
3
4
次のページへ>>

子ども達の笑顔を守るためにできること

案内されるまま小高い丘の上にある草地に踏み入れると、

「ここが中学校建設予定地です」と、足元の地面を指されました。

「ということは、ここはもう不発弾の撤去は済んでいるのですか?」
との中川の質問に、答えは


「いえ、これから撤去作業をします」

 息と思考が止まりました。


不発弾撤去の行われていない土地に今まさに立っていると知って、平然としていられる人はそういないでしょう。

それでも、現地を案内してくれたMAGのソートさん、現地の教育省・赤十字の担当者たちは、ごく普通の空き地を歩くかのように、何の躊躇もなくその辺りを歩き回るのです。もちろん、安全の確証はありません。私はというと、土肌の見えている箇所を探しながら、つま先をそっと地面に触れさせ、そっと体重をのせる・・・の繰り返し。あるいは誰かが歩いた跡に続いて歩くことしかできませんでした。

当然、境界線がはられていると思っていたその土地には、境界線どころか立て札さえなく、危険を示すものは何一つありませんでした。

"ばらまかれる"クラスター爆弾の特性ゆえに、ばらまかれた量があまりに大量で、被爆域の限定が困難なゆえに、今もどこにクラスター爆弾が埋まっているかわからないのです。ラオスの国土の多くが、「ここから先は安全だ」とか「ここはクラスター爆弾があるから危険だ」といった判断さえもできない状態なのです。

草地を見てまわるあいだ中、「私が踏んだ衝撃で爆発してしまったら」という恐怖が頭から離れることはありませんでした。


ラオス東北部、ベトナム国境にほど近い少数民族の街、シエンクワン県ノンヘッド郡カンパニオン村に、この中学校建設予定地はあります。同じ丘には保育所として立てられた建物と、小学校、遠方から学校に通う子達のための寄宿舎があり、保育所のすぐ裏の草地が中学校建設予定地です。

小学校を卒業した子どもたちは、まだ中学校が建築されていないため、現在「保育所として建設された建物の1教室」と、「小学校の1教室」の合計2教室を間借りして中学校教育を受けています。

子ども達が簡単に踏み入れられてしまう場所に、クラスター爆弾の不発弾が眠っているかもしれないという事実。もしも我が子が不発弾の眠る土地のすぐそばで、毎日授業を受けていたら・・・と想像すると胸が押しつぶされそうになります。

それどころか、カンパニオン村の中学生たちはこの不発弾の危険が残る土地で、トウモロコシを栽培していました。足下には、トウモロコシの芯がいくつも転がっています。これがラオスの日常なのかとハッとしました。

ラオスの中心産業は、農業。
首都ビエンチャンこそショッピングモールが建ち、3車線の広い道路が走り、都会の賑わいを見せていますが、ビエンチャンを離れると、土埃のあがる田舎道が続きます。

牛が気ままに道路を渡り、段々畑が広がり、市場には所狭しと地元の野菜が並べられています。多くの人が農業を生業として生活している様子がわかります。 生活のためには、安全の確証のない土地でも耕す以外に選択肢はないのです。


8分に1回ともいわれるペースで、爆弾が雨のごとく9年間も降り続いたラオス。
クラスター爆弾を含む30%の爆弾が不発弾として国土に残り、戦後30年たった今も、当時落とされたクラスター爆弾によって、年間に20人以上の死者と150人を超す負傷者を生んでいるといいます。

通学路で、畑で、森で、一瞬にして命を失い、手足や目を失い、これまでの生活が奪われる被害が途絶えることなく続いています。

どしゃぶりの雨が山の斜面からクラスター爆弾を押し流し、いつも使う通学路に転がっていた。いつものように学校へ行ったのに、我が子は両腕と右目を失ってしまった。こんなにも悲しいことがあるでしょうか・・・

現在、学校建設や道路の整備、農地整備の前にはMAGが不発弾撤去を行っていますが、MAGが活動を始める前に土地が整備されたところ、まだ手が届いていないところでは不発弾撤去が行われないままその上で日常生活が送られているケースは多々あるようです。
実際、既に立っている校舎の下から大量の不発弾が見つかったり、地面に埋め込み式で子どものベッドを備え付けようとしたところ、土中の不発弾が爆発してしまった事故などが報告されています。

あるテレビ特集の中では、年間に何人もの死傷者が出ながら、「状況は悪くない」という村人の声があることを紹介していました。
クラスター爆弾と共に生活することが、彼らにとっては「日常」なのです。
これが異常な事態だと、一人として本来傷つくべき命ではないのだという意識が、あまりにクラスター爆弾の近くで生活を送るなかで隅の方に追いやられてしまっているのかもしれません。

カンパニオン村の中学生達は、クラスター爆弾の眠るとも知れない草地のすぐそばで授業を受けています。生徒数に対して、教室は圧倒的に足りず、午前・午後とに別かれ、それぞれ違う子どもたちが勉強しているという状況です。教師も10人は必要なのに人材が足りず、職員室も4畳ほどしかありませんでした。大きな机がどんと置かれ、周りにイスが数脚。これで職員室はいっぱいです。

十分な授業時間が確保できず教育水準が低下してしまっている現状に加え、これから先、小学校を卒業し中学へ進む子どもたちが増えることを考えると、現状のままでは全ての子どもたちに十分な教育を提供することは、ますます難しくなりそうです。

カメラを向けると、はにかみながらこちらに背を向けてしまうシャイでかわいい子どもたち。「彼、彼女たちの命を守るための不発弾撤去」と、「教育機会の確保のための中学校建設」のために、私たちとしてできる最大限のことをしていかなければという強い気持ちになりました。

雲一つない澄み切った空のもと、豊かな緑の山々に囲まれ、人々はとてものんびりと穏やかな表情をしています。旅行者には、一見何事もなく穏やかな日常が広がっているように見えてしまいますが、戦後30年、ラオスの人々の足下には、今も息を潜めたクラスター爆弾が数千万個と埋まっているのです。

ラオスは今なお「戦場」なのだということを感じました。

<< 前のページへ
1
2
3
4
次のページへ>>
企業情報
社会貢献活動
事業紹介
採用情報
プレスリリース
メディア掲載情報
お問い合わせ
プライバシーについて



ページトップへ
サイトトップへ

Copyright (C) Prema Inc. All Rights Reserved.